[112]中川達矢[2012 05/10 20:29]
でようやく詩が自由詩になりえたのではないか。

なんて、歴史的なことは置いといて、まあ、詩には韻文性が伴っていた歴史があり、その韻文性に共同体性を見出していた一派がいた、という記述もあるのです。(ソースはあるのですが、今はめんどうなので、希望があれば引用します)

言葉の持つ思想性など、バルトに言わせれば、作者の死、解釈なんていくらでもできますが、言葉の持つ音韻性=物質性は均等なんじゃないかって。
つまり、本=黙読=個人的、に対して、声=音読=集団的要素があるんじゃないかって。

長くなりました、すいません。
根つめて書いていないですが、とりあえずこんな感じでネタ投下しときます。
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