[866]深水遊脚[08/03 19:23]★2
伏なしにそのあたりは受け入れるとよいのかもしれないです。相手が正しさを所有していないのはもちろんのこと、自分もまた正しさを所有しているわけではないから。
正しさに到達していないものにも美がある可能性はあります。そこが難しいところです。あくまで可能性ですが。ほかの言葉で言い表せなかったものを、確信のあるいくつかの言葉を集めて組み立てて作ったもの、それが比喩の原点なのかもしれないです。書き手の内面まではわからなし、詮索はどんな形でも野蛮な行為になってしまいます。言葉を受け取り、その言葉を核にして何か思考が纏まったならば、その出会いに、ただ静かに噛み締めたいです。誰のためでなく、自分のために。
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