作者からのコメント
宗長美希さん>きっと、深いんでしょうね。僕も、もっと知りたいです。
風鎮子さん>ありがとうございます。
理凛さん>嬉しいです。掘り下げた意見、是非理凛さんに読んで頂きたいです。
沼谷香澄さん>・・・いてっ?笑
Harpoさん>ありがとうございます。でも多分、これはあくまでも僕なりの感じ方であって、これが一般に「正しい」事ではないとも思いますよ^^
かいろさん>ありがとうございます。
相田 九龍さん>コメントありがとう。
改めて読んでみた。僕の言う「自分の足で立っているぞ」という言葉の意味では、錯覚ではないと思う。君の言う錯覚は「人の力無くして自分の力だけで立っている」という意味じゃないかな?つまり、「人の力は必要ない」と。
僕はそうは言っていない。人の力を借りて生きてきたという自覚を踏まえた、精神的な自立を指す。「人のことを守れる」という意味の「自立」を指している。だから、錯覚ではないと思うよ。
真山儀一郎さん>ありがとうございます。
士狼(銀)さん>ありがとうございます。
櫻井 雄一さん>ありがとうございます。物事に正論や答えは無いというのが僕の信条の一つで、だけど、時には一つの意見の立場に立って真っ向から他の意見と対立しなくてはいけない時もありますね。そんな時でも、他の人達の主張を理解していられるようになりたいと思っています。それから、「相対的(ソウタイテキ)」じゃなくて、「相対する(アイタイスル)」です。相対的に考えるのと相対する関係というのでは意味が違ってきますので。。僕も自信がないので参考までに引用を挙げておくと
【相対的】他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま。
【相対する】?互いに向かい合う。また、直面する。?反対の立場に立つ。対立する。


八重さん>姉に言われたのですが、僕は普段は色々なことに依存してるのに、大きいところで依存を拒否し、相手の依存すら拒否してしまうから、相手を傷つけるのかもしれません。人を好きになるということは何とか出来ても、一人の人間だけを愛するというのがとても難しいと感じています。僕はやはり、冷静さや先を予測する意識が足りないと思っています。

『答えは無い』というのが常に僕の中にあります。
自分を束縛することも、依存を拒否することも、また、依存することも、全て否定は出来ないし全て肯定も出来ません。その場その場で全てを受け入れていくしかない。その為には僕は余裕を持ちたいし冷静でありたいし、客観的であり主観的でもありたい。
本当に、過程の中に生きているのが人間(意識/感情/自我)なのかもしれないですね・・・。とても丁寧な感想をありがとうございます。とても参考になりました^^
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