作者からのコメント
花野誉さん ありがとうさま
>映画のエンディング曲のようで、素敵でした。
曲を聴いてくれたんですね♪☆^^AiのSunoさんは、ほんとすごいです♪

---2025/10/25 15:44追記---
りつさん ありがとうさま
>---2025/10/24 17:13追記---
>越路吹雪さんの「愛の讃歌」を連想しました。
まあ、すてきに連想してくれて 嬉しいです。^^


けいこさん ありがとうさま
>曲を聴かせていただきました
>詩が生かされた素晴らしい動画ですね
AIのSunoさんは、すごいです。^^

洗貝新さん ありがとうさま

>〜と。接続助詞を多用した作りも、AIにかかれば延ばされる。へえバラードにもなるんだ。と、ちょっと驚き。
AIへの 音楽ジャンルの指定は、「ジャズ」にしたんです。^^

りゅうさん ありがとうさま
atsuchan69さん ありがとうさま
月乃 猫さん ありがとうさま

---2025/10/27 16:48追記---
海さん ありがとうさま



※以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。

ひだかたけしさん コメントをありがとうさま
>生きることのシンドさ悲しみ
>人工的な音像から加工され
>半減以下にされ伝わって来て、

>こういう宇多田歌声を完璧過剰に模造した震え揺れSOUND

>僕にはどうにも好きになれません。

>何故、この作品をAIに委ねる気になったのか、
>それだけ、こしごえさんの生きる事の苦しみを一時でも解放したかったのか…

>あゝなんだか、しんどい気持ちになってしまい…

>コメントのみで申し訳なく失礼します。


>---2025/10/24 21:49追記---

>追記、

>(生きることを)楽しめ♪ と(たとえ「♪」記号にて和らげようとしても、和らげようとした作者の意思の伝わり響きを)書き表した時点でアウト!かなぁと。

>生きる事自体が楽しみ(の訪れ)でもあるから、
>楽しみを充分味わい体験した後、その楽しみが含み込む自分にとっての本質を学び得る

>学びが在るからこそ未だまだこうして毎夜毎夜の苦しみを乗り越えて早朝に起床出来る

>僕自身の生活はまあそんな感じなので、やはり命令形は本質的に違うと、そんなことを疼痛発作にじわじわ犯されつつ想いますです。

>---2025/10/24 22:18追記--

ひだかさんの おっしゃることは、大体ですが、分かりますよ。ある意味、その通りだと思います。
ただ、先に言っておきたいのは、
ひだかさんの立場などと、私の立場などは、そもそも異なる状態であるということです。
であるから、もちろん、言うまでもなく、この作品は、私の立場などを元に書かれたモノであるということです。
その点を、理解してもらいたい。
もちろん、自分の作品を世に出す限り、読者にその価値などを決める権利などがあるのは承知の上です。ですから、読者に、自分の作品について、何をどう言われても、仕方ないことだとも思っています。
読者は、自由にその詩を感じたりしてくれば、ある意味、作者冥利ですからね。


まあ、私の場合、深刻になるほど 深くは考えてはいませんし、物事を深く考えられない性質なんですよね。
AIについては、いろんな人が、いろんなことを言っているようですね。
でも、私は、AIの危険性もあるけど、有効活用している範囲では、AIに 肯定的な立場です。

こう言ってはなんですが、私は今までに、私家版などで、紙製の詩集(本)を5冊出している。
もう、詩集は、十分だと思っていて、今のところ、もう詩集を出すつもりは無い。
だから、それからの私は、私自身がネット詩人でいい、と思っているところが大きいのです。
今のところは、楽しめれば、それでいい、という立場の私。
もちろん、詩を書くこと自体、苦しい時も(も)ありますよ。でも、その苦しみも、ある次元では、たのしみ、の内です。苦しい時は苦しみ、悲しい時は悲しみ、嬉しい時は喜ぶ、などというのが、私の思いです。
AIに私の書いた詩を任せる、という行為にも、私は、そんなに深刻には、考えてはいません。
そりゃあ、生身の人間に、曲を書いて付けてもらえれば、それほどありがたいことはない。けれども、それは、現実的に無理でしょ。


詩は、生活などがなくては、(私の場合は、)書けない。私の場合、生活の中から詩が生まれる。
苦しいんですよ、生活するということは。でも、よく自分の環境などを出来るだけ客観的に見ると、恵まれている部分は恵まれている。
ひだかさんに事情などがあるのと同様に、私にも(も)事情などがある。

楽しめ、と言うのは、この作品の中でも言っている通り、「自分に対して」言っていることです。他人へ、命令してるワケでは無い。
「楽しめ」という言葉を思うその時には、いつも思うことだけど、「常に『肉体的』な苦しみがある人には、楽しめ、という事は、通じないだろうな」と思うんです。
私の場合、時々、腰痛や手首のけんしょう炎などにはなるけど、激痛というほどではない。
(10年程前に、気胸(ききょう)という 肺に穴が空く病気になり、手術をしました。入院中、手術をするまで、10日間ほど痛み止めを打ってもらいガマンしました。特筆する肉体的な苦痛は、今のところ、それ位でした。)

ですから、先に述べた通り、この作品は、私の現在の立場などを元に書いたモノである、ということを重ねて申し上げます。

以下の事は、時々、思うことですが、苦しい時には、「人生は、ゲームだ」と思うようにしています。もちろん、人生が ゲームなワケはありません。
でも、私にとって、時には、人生は命がけのゲームであるのです。こう思うことにより、
苦しみを少しでも、(精神的に)やわらげることが、私の場合出来るから、こう思う。
自分に対して、楽しめ♪、と言い聞かせるのは、この為です。

生きること自体が、楽しみ、というのは、私も同感です。うん。

私のこのコメントの最後に。
ひだかさんからの コメントに、十分応えられていない部分もあるでしょう。けれど、
ひだかさんからのコメント、お心づかいは、貴重で ありがたいことです。
ひだかさん、ありがとうございます。

拝礼

---2025/10/26 09:25追記---
ひだかさんへ。
重ね重ねの コメントをくださいまして、ありがとうございます。

そうですね。
ひだかさんの立場などでは、そういうことなのですね。私の 理解というか、想像力の欠如にて、
ひだかさんに、苦しい思いをさせてしまいました。
申しわけありません。ごめんなさい。
でも、それらのことを私に こうして 伝えてくれたことも、貴重で ありがたいことです。
ひだかさん、ありがとうございます。
拝礼

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