作者からのコメント
atsuchan69さん、ありがとうございます。
「籠モル化」という命名は素敵ですね。もちろん、籠モル化そのものをモグラ野郎としてがっちり掘り起こされた手腕も見事です。実際のモグラにはチャーミングさもあるかと思いますが。こんど詩をつくるとき、籠モル歌と子守唄を掛けてみたい、そんな誘惑にもかられました。
りつさん、ありがとうございます。
そうですか、選べずに橋から飛び降りましたか。なんというお心のやさしい方でしょう。去りゆくひとも、手招くひとも、同じように愛したい、そのお心はたいへん尊く、また引き裂かれるような苦しみでもありましょう。わたしも今回は門をとりあげまして、門の内と外、どちらに踏み入るべきか、これは大きな問題でした。橋のように飛び降りられないので、門に首をひっかけるしかないような気もしますが、ひとまずモンドリウッテ時間をかせいでみます。
---2025/09/15 21:54追記---
りゅうさん、ありがとうございます。
「論点、争点、盲点」ということで、モザイクが入られましたか。TATOOを入れられる方は一般でもよく見かけるようになりましたが、モザイクが入ってしまうと判断できませんね。「重要な部分は全部モザイク」といわれると、私なんかはすぐにAVビデオを思い浮かべてしまうんですが、恥部が判断できるわけない! と悔しがってでもですね、それはやはりマン身ですから、ではなく淫靡ですから、ではなくてやっぱり見えない方が道徳的かつ世間的によいというみんなの民意ですから、受け容れざるをえませんでした。
今回の作品「真紅の門からひろがる空漠をぬけていく南風」でも性向の場面が連想されるような個所がありますが、モザイクならぬ門細工でもって最も重要な門を隠してあります。どうぞこの点を盲点ではなく門点としてお受け容れくだされれば幸いです。
ところ「論点、争点、盲点」の曲の方も聞かせていただきましたが、ヴォーカリストの方の声が愛くるしく非常に伸びやかでありながら、どこか退廃的で鞭を打ち付けるようなところもあり、さらには変調の波を巧みに乗りこなしている技巧的な印象もあって、複雑な魅力を発散しつつしっかりとまとめあげていて良かったです。
本田憲崇さん、ありがとうございます。
ここでは「雪の名」をとりあげさせてください。というのも、すぐ下で洗貝新さんがですね、菊姫様というこの世ならぬ美しい女の名をもちだしておりますゆえ、どうぞ、フローラ、アルキピアダ、タイス、エロイースの美しい名がことごとく、菊姫の門の中にも滲みわたり美しさのうえにさらに一層美しい一部分となることを願わずにはいられないからです。
そして言ってくれ、いまどこに、どの国にいる、菊ローラ、美しき多賀城の遊女、アル菊ピアーダ、さらには菊イース、あるいは菊エコー、人間の及びもつかぬ美貌だったが、どこにいるのか、才知すぐれたエロ菊ーズ、彼女のために去勢され、僧侶となってピエール・アラガイーヌはサン・ドニへ。恋のあまりに、そんな苦難も嘗めたのだ。同じくまた、どこにいるのか 百合のように白い衣のブラン菊ッシュ太后、歌う声は人魚さながらだった。大足のベル菊ト、ビア菊トリス、菊リス、そしてジャンヌ・菊ダルク 勇敢な菊娘。イギリス人がルーアンで火あぶりにした。けれど、いまはもう、いたずらに繰り返すことなかれ、菊、菊、菊とばかみたいに。
「その冷たくなった君の手のひらの水平線にそっと溶け込んでは、その美しき名の響きを音もなく響かせていくもの」なんていう一文は、ヴィヨンのバラードに上手く溶け込んでおりますね。まさに雪が溶け込むように死に溶け込む美の浸透はお見事です。
洗貝新さん、ありがとうございます。
仙台の仲居のおばちゃんに菊姫が重なりましたか。そうなんです、仙台は重なるんです。というのも、仙台名物といえば洗貝さんも舌なめずりされているとおり牛タンなんです。このタンが、たんと召し上がれとばかりに、際限も無く提供されるんです。まさに涎が滴ること果てをしらない舌タンです。舌をめくれどめくれど舌、舌、舌、また舌であり、いくら食べても飽き足りるということがありません。舌が無限に重なっていくのです。腹の中で。
ということで、菊タン姫は、たとえ多賀城でアザ麻呂に首を切り落とされてもですね、すぐに下から生えてくるのです。もちろん股の下にはえているカマ首の話ですよね? え? 生えていないと思った? まさかね。重なっているというのはつまり、傘になっているっていうことでもありまして、やはり傘といえば股の下にはえているキノコの傘に決まっているじゃありませんか。
>鮫の革を腰に挟んでいたため、帰りの仙台空港ではテロリストと勘違いされた、惜しい旅だったのです。
エミ新のアラガイアザ麻呂殿ともあろう御方が、せっかく遠路はるばる仙台まで菊姫を追いかけてきてくださったというのに、鮫の皮を腰に挟んだまま帰ろうなんて傘泥棒はご法度にきまっておるでしょう! いくら菊姫の傘が不死身だからといってもですね、自分の傘を菊門のほうに押し込んだ挙句、その門内の鮫肌にすっかり咬みつかれて傘の皮がはりついてしまったからといって、腰をひっこぬくこともせずにそのまま空港をぬけでよううなんていうのは言語道断、ゲートでつかまるに決まっているでしょう。門ならなんでも抜けられると思ってすぐ突っ込むのは単純すぎますよ。いくらタンが好きだからといってもタン純すぎるのはよくないな。そんなにエロいからエロリストと間違えられるのですよ。こんど仙台に来るときはローションを忘れないで門からすべりぬけられるように、よろしくお願いします。
花野誉さん、ありがとうございます。
砂塵のむこう、に、今日も地域のために働く建設業者ありですね。建設業者は地域の守り手であり、町医者を自負しております。インフラを造り、維持し、壊れれば直し、災害が起これば自衛隊よりも早く真っ先に駆けつけます。日々の不調と急患にも対応するお医者さんといっしょですね。砂塵が起きても目を曇らされることなく、物事の本質や重要性をきちんと見抜ける目と心をお持ちのようで、感服いたしております。たとえ幻の己しか強く応酬できないとしても、その幻を持ちえるかいなかは大きな違いがありまして、今回のわたしの詩の幻にも共感をいただけたようで、真紅の門という砂塵を通してではありますが、なにか通じ合えたところに嬉しさを感じる次第です。
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