作者からのコメント
りつ様:私の人生におけるリアルを克明に描いた物語文。それは多くの輝ける人生を送ってきた人々の誰それと恋愛をしてきたとか、海外旅行に行ったとかそういう栄光の物語としての実存となんら変わらない。
私にとって大切な物語。その辺を理解して作品をご鑑賞くださるとありがたいです。
許す許さないは、私が許してきたことで引き受け得た代償の物語でありますので、結果的には私は許してきたことでこの物語を得たことを肯定する内容になっていると思います。

りつ様
ヒロセマコト様

イイネありがとうございました。
---2025/01/22 00:17追記---
>きっと、お兄さんはあなたに、わかって欲しかった、ゆるしてほしかった、愛して欲しかった、抱き締めて欲しかったのだろうと思います。
そうぞうしてみて下さい。
5歳児が大人にポカポカやっている光景を見て、どう思いますか?


知恵遅れだとは私は思いません。彼は学校の勉強は出来る方でしたから、自惚れていたぐらいです。
そして、殴る人間が殴る相手に対し、抱きしめて欲しかったのような期待を抱いていたという想像ですが、あまりあってないように思います。彼は私が両親に愛されていること全体を含め私が鬱陶しかったし、それが暴力のきっかけだと思います。



>私は須く全てのかきこみが辿り着くさきは、
(すべてではないです。とくしゅ詐偽の被害者やころされた人の家族など、れいがいはあります)
「愛」であってもらいたいのです。
けれど、あなたにはいいます。
書き込みするのは自由ですが、「あいとゆるし」を持って書き込みして下さい。

これになると更にわからない。書き込みには色々な種類がある。人間の喜怒哀楽から、ネガティブ感情を多く排除するべきでしょうか? 私はそう思わないのです。臭いものは臭いと言える嗅覚を保たなければいけない。理性的な考えとは思えません。

もう一つ感じたのは、他の投稿作品へのコメントで、私が兄の暴力に抵抗しなかったかのような内容を読んだのですが、何故そう思われましたか? 自然に物事を捉えると、男同士ですからやり合うところを想像してもおかしくないと思うのですが。彼は私より五歳上でした。彼は自分の方が強いと自惚れていましたが、その認識内容全体は白痴的頭脳によって齎されたものであることと、私がその種のことを指摘し続けていることである種の癒しを得ていることに対し、いかりや憎しみと言ったネガティブな捉え方ですべてお感じになられることが残念に思います。私は嫌なものを嫌だと拒否し切ることが出来なかった。三十八年ずっとです。それを公の場に書き続けることである種の解放を得ている。そこには私なりのポジティブがあります。
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