作者からのコメント
お読みくださり、ありがとうございます。


---2024/11/02 11:58追記---
朧月夜さんへ

この文章の要点は、現実認識です。

「読む」と「書く」も、その根幹に人格構造があるはずです。したがって、その者の現実認識をそのまま反映したものであると、わたしは考えています。

第一に「テクスト的現実」とは、文章を読む際に「基本的に一次情報から(...のみによって)解釈するべきである」
という態度のことです。要するに、センター試験での現代文のことを思い出していただければよい。インテリジェンスやアカデミシャンの読解の姿勢も、この延長になりますね。

現代社会は知識基盤社会ですので、このタイプの「読む能力」が卓越していない限りは、上部構造へはシフトできない仕組みになっています。
偏差値エリートの頂点である官僚や学者や医者などは、この能力のスペシャリストとして養成された人間と言い換えてもよい。

では「そうではない解釈の姿勢」とは何かというと、そのまま言い換えてしまえば、=「テクスト的現実」に拘泥しない、という態度、姿勢ということになる。テクスト的現実とは異なる「現実」に重きを置くということですね。

フローベール研究者たちは、いまだに「ボヴァリー夫人で服毒自殺したのは誰なのか?」云々というような、つまらんことで論争しているわけです。かたやいっぽうで、ウィキペディアではボヴァリー夫人で服毒自殺したのはエンマと書かれています。この記事を書いたのは、研究者ではなく、大勢の「大衆」ですね。

ここで、どちらの「解釈」がより現実なのか?現実に近いのか?という問いが生まれます。
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