作者からのコメント
妻咲邦香様、お読み下さりありがとうございます。

そうですね、障がいとは何なのでしょうか。本当に難しいと思います。一口に障がいといってもまず身体、知的、精神と大きく分けられますし、精神のうちでも分類は多岐に渡ります。たとえば散文でもとりあげたASDなどは、色々な考え方はあるでしょうが、それ自体が障がいというよりもそこから二次的に派生してくる双極性障害や抑うつ症状などの症状が問題視される事が多いと思います。また、いわゆる精神障がい者とは何を指すのか、それは手帳を得た者がそうなのか、あるいは主観的な感覚で自分が何らかの精神的な不均衡状態に置かれることを認識した時に既にそうなのか、考え方は色々だと思います。

じつはこの当事者会に参加した時、この散文では書きませんでしたが、障がい者年金を受給しているある親子と意見を交わす機会がありました。本当はその時の話をメインに据えようと思ったのですが、途中で気が変わり今回のような散文になりました。

発達障害に起因する二次的な精神症状により、年金を受給することはおそらく現在の日本ではそう珍しく無いと思われます。しかし、人によって症状は千差万別ですし主治医の判断がものをいうというのも現実です。

ほんとうのところ自分は、発達障がいを抱えながら生きている人が自分のそうしたある種の傾向(先に申しました通り発達障がい自体は障がいというカテゴリに属さない場合が多いです)をどう見つめ、社会との関わりについてどんな考えを持っているのか、それを主に議論したかったのですが、なかなか初参加ということもあり上手くいかない部分がありました。

参加されていた方々は障がいというものを、大きく二つに分けて捉えらっしゃる事が多かったように感じました。一つは現に損なわれている場合の障がい。身体欠損や身体機能の不全がそれにあたります。そして二つ目は生きにくさとして障がい。これはつまり発達障がい等の生活及び社会的能力の偏りに起因する、社会機能不全状態の事です。

このわけ方自体に何かの疑義を挟むつもり特にないのですが、近年の傾向として後者の障がいが社会のなかで多く認知されるようになってきたのは事実のように感じます。その背景にはおそらく社会情勢の変化や人権意識の変容があると思われますが、では我々がこれらの比較的新しい価値意識にすんなりと順応できているかどうか、それは未だ手探りの感を拭えない状況と言えるでしょう。

当事者会というのは、これもまた多様な考え方があるでしょうが、当事者同士がある程度互いを批判し合える場である方がより建設的であるとぼくなどは思います。もちろん、基本的に相手の事は否定しないという前提は必要ですが。

しかしながらそうした意識が当事者の間から起こることは実際のところ少なく、いや、以前よりは多くなってきてはいるようですがまだ十分とは言えない現状があります。

発達障がいという括りがまだ社会の中で漠然とした位置づけしか与えられておらず、それゆえに他の身体や知的・精神障がいと比べて、ある意味で特殊な生きづらさみたいなものを当事者は抱えてしまいがちです。今回ぼくが当事者会に参加した理由の一つは、まさにこうした「生きづらさ」を当事者同士の意見交換の中で明確にしたかったからでもあります。

今後おそらくぼくは発達障害もしくは発達障害の周辺に位置する当事者として様々な人と意見交換をしていくと思います。

そして時期が来たら、そうした意見交換の様子をこうして散文の形で残して行こうと思っています。

コメント有難かったです。こうしたことに興味を抱いて下さる方は必ずいらっしゃるのだと励みになります。今後ともよろしくお願い致します。

お返事おそくなりすみませんでした。

---2021/02/21 18:34追記---

---2021/02/21 18:37追記---

---2021/02/21 18:39追記---

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