作者からのコメント
すみません。
すぐに 返信が書けません。
小学校の夏休みに 広島城のお堀を昔の図面を明確に書いて褒められました。
筆圧の強い鉛筆書きの地図でした。うつくしいと、感じました。
けれど、現実には さまざまな事情で めまぐるしく変化しています。
---2016/08/22 16:59追記---
おそくなりましたが、返信をさせていただきます。
- ただのみきやさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- 梅昆布茶さん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- stさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- 吉岡ペペロさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- アラガイさん
昔、旧市民球場近くにある会社に 勤めていたことがあります。
家族には あの球場の見下ろせる電気屋さんに勤めていたことがあります。
あのあたりの変貌は、わたし自身の変貌のよいに愛おしいような苦しいような複雑な 思いが 私には あります。どうなるのでしようねえ。遠くにいらっしゃる方が そんなふうに 思っておられると思うと、優しい気持ちになりました。
- 石村 利勝さんへ
ありがとうございます。地図は なぜか いろいろもっているのですが、詩作の段階では 見ないで書きました。わたしの子供は被爆三世です。やはり、爆心地の近くゆかりのある者が多いです。広島の人々は 山とか風とかで生死を割れましたよね。私の親戚も山の陰になっていて 救われたパターンです。
福島の事故のとき 当初は地図上に同心円で被害を予想して対処をしていたときに、私は わたしたちの常識を無視した態度に ふるえながら憤りました。なぜ、山と風が大事なんだという認識が無いの!と 私は思いました。
今の段原は 私にとって小粋なケーキ屋のある地域です。とても貴重なお話をしていただいたのに すくにお返事が書けなくて もうしわけありませんでした。
「よくぞ書いたり!」とまで 言っていただいて、ありがたかったです。
- こひもともひこさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- あおばさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- 牧野クズハさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- uminekoさん 古い地図を なぜか複数持っています。ことしは、八月六日に、広島にいませんでした。富山にいました。新聞の一面がオリンピックでした。広島の新聞(中国新聞)の一面では もちろん、原爆した。
- イナエさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
- Syuuko Tanakaさん 読んでいただきポイントまで ありがとうございました。
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