作者からのコメント
私が掌編小説の活動の場としている時空モノガタリというサイトで発表した作品を一部手直ししたものです。
小説家を志すも先日急逝された松山さんの小説が読める場所です。
http://www.jiku-monogatari.jp/entry/?mode=list&word=C150709192729
もしご興味ありましたら。
---2015/08/27 08:49追記---
- 松岡真弓さん、ありがとうございます。
>読みながら胸がいっぱいになりました。最後は泣いてしまいました。ケータイで読んでいたので、タイトルは見ていませんでした。松山さんがお亡くなりになったということを知らずに読んでも、泣かされました。それは珊瑚さんが丁寧に編み上げた一粒一粒光るビーズのような言葉の力であり、美しさであると私は思います。
>ああ、もしかしたら、この光こそ、すなつぶであり、驟雨ではないか。この発見に特に強く胸を打たれました。
驟雨なんてかろうじて読めても書けない私などが、この言葉を使うのは、インチキしてるみたいで、なんだか心苦しい気持ちもするのですが、そう言っていただけて本当に嬉しいです。力をいただきました。
驟雨、個人的には、雨の糸を描いた浮世絵を思い出します。あれは本当に腑に落ちる芸術なのではないかと。おそらくあの絵を遠い昔に見た経験がこの作品を書かせてくれたのかも、などと思ったりしています。
私は甘い人間なので、「殺傷力」のある物語にあこがれつつもその力量はないと自覚しており、けれども違った形で、もしかしたら美しさの持つ力のようなものなら書けるかもしれないなどと大それたことを夢みています。それを描いていけたら本望です。
- atsuchan69さん - 夏美かをるさん - 鵜飼千代子さん、読んでいただき本当にありがとうございます。
---2015/08/27 08:57追記---
---2015/08/27 08:59追記---
---2015/08/27 09:55追記---
---2017/06/01 07:56追記---
Kazuyuki.Cさん
>砂粒(さりゅう)が、フランスで出会いと別れの両方の挨拶の意味に用いられる音であるというのは興味深いですねー。イタリア人も、Duomo(どーも)は日本では出会いと別れの両方に更に言えば感謝にも謝罪の意味にも使える言葉であるいうのを知れば、案外深い話かもしれないと思いながら拝読いたしました。
そのエピソードに注目してくださって、嬉しいです。
人生は出会いと別れに満ちていて、もしかしたらそれこそが人生そのものかもしれないとも思うのです
一見真反対の意味と思えるそれらが同じ言葉で表されているというのは、そういう意味でストンと納得できる、そんなように思います。
日本語はその点はっきりと違う単語で表されますが(国民性なのでしょうか?)こんにちはとさようならは対語でもあり、また、同義語でもあるようにも思えます。
---2017/06/01 08:03追記---
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