作者からのコメント
犬から飼い主を引き算したら何が残る?
というのはP・オースターの中々気の利いた一文だけれど。
批評から対象を引き算したところで(もちろん、その「やり方」はそれなりに問題になるけれど)それは捨てられた犬ほどに哀れなものにはならない。
僕は批評という犬から、見苦しい首輪とリードを外してやった。
そんな風に考えている。君たちはリードをつけた犬と散歩するがいい。
僕は彼とともに自由を駆け回る、そっちの方が楽しいだろう?
君たちが「批評」と呼んでいるのは、単なる首輪とリードに過ぎない。
本質も真実も犬も、そこには居ないんだよ!
まぁ、君たちがそれでいいなら、そのままでいいんだけどね。
芸術的に電信柱にオシッコをかけることにも、芸術的にフンを拾うことにも
それなりの意義があるかもしれない。そこは否定しないよ。
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