作者からのコメント
ポイントいただきありがとうございます。
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---2010/02/07 02:02追記---
まどろむ海月さん
コメントいただきありがとうございます。どんなに客観的に読もうとしても、自分が半分書いているので
客観的になりきれない部分があります。ご意見をいただきとてもうれしいです。
>オペラの二重唱のように魅惑的です。
まどろむ海月さんのコメントで思いついたのですが、もしかしたら、交錯詩は朗読で面白い味を出すかもしれませんね。同音異義語をどう処理するかということなど、披露する為には、綿密な準備は必要だと思うのですが。もしかしたら、既に、どなたか試みられているかもしれませんが。
>ポリフォニックな詩というのはもっともっと試みられていいと思います。
オフ会では、前菜もメインもデザートも全部「詩」のような奥主さんがいたから、わたしもこうした経験を持つことが出来たのですが、「詩人の余興はやっぱり詩」というとっかかりで構わないと思うので、みなさんも楽しんで試みていただければいいなぁって思います。ルールは単純なんですが、詩書きにとってけっこう勉強になるんです。作品によっては、痴漢被害現場や、暴行事件現場のようにもなってしまうので、「気軽に」とは言えないのですが。
コメントとても嬉しかったです。ありがとうございます。
---2010/02/12 21:12追記---
プル式 さん
たとえ「無限の距離」であっても、背中合わせの地球上の眼前360度あちら側でしょうし、生活の空間の懐の内だなと思うのです。
---2010/03/19 19:09追記---
---2010/10/02 02:31追記---
「交錯詩」について、過去のコメント欄より引用し付記します。
交錯詩「路地」(ニフティーサーブ現代詩フォーラム既出)のあとがきより引用。
「最初に題名だけ決めておいて、相手の書いているのは見ずに行う共作」である「交錯詩」。
萌木さんとはメールで共作しました。
会議室での交錯詩のやり方は、まだ確立していませんが、この会議室では鳶嶋さんを中心に、交錯詩の方法が試みられています。
興味のある方は、是非ともご参加下さい。
1997年 6月 27日 奥主 榮
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『交錯詩は、もともと1994年10月10日に、詩のフォーラム(FPOEM)のオフに途中から合流した私が、オフの幹事であった大村浩一さんに持ちかけて書いた作品が最初でした。複数の書き手が書いたものが、偶然の組み合わせによって、作者の意図から離れた世界を描けないか」というアイデァでした。実は、大村さんにも、「そんな偶然性への依存は、詩としての堕落だ」と一喝を喰らうのではないかと思っていたのです。
でも、内心言語遊戯的な興味や、ジャズのインプロビゼーションのようにして詩を書くことは出来ないかといった挑戦的な気持ち、作者の意図するものだけが作品の持つインパクトではないのではないかという僕個人の考え、さらには失敗すれば途方もない駄作になるという賭博師のようなスリルもあって、持ちかけてみました。(作者の意図するもの云々に関しては、傷んできた屏風絵や掛け軸の「持ち味」を楽しんでしまうような国では、その国なりの詩があってもいいのではないかという気持ちがありました)[ニフティーサーブ現代詩フォーラムMES7#55奥主榮発言より引用]』
---2015/08/14 07:18追記---
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