作者からのコメント
Chiaveさま
コメントありがとうございます。もしよろしければ、どんな示唆を感じられたか教えて頂けると嬉しいです。
---2009/05/24 13:07追記---
実際のところ、自分で考えを整理して書けたとも思えないので、分かりにくい文章だったと思います。
作者としても「何か」がはっきりとはわかっていなかったので、書いていく上で自分の考えを整理しようとしていたというほうが正しいかもしれません。
何度も読んで下さり、ありがとうございます。
---2009/05/25 22:34追記---
私は、わかった上でないとポイントをつけてほしくない、とは思いませんので、失礼だとは感じませんでした。ですのでどうかお気になさらないようお願いします。
滅菌ガーゼさま
たいへん参考になるコメントをありがとうございます。
他の「現代」「前衛」の行き詰まりと共に、現代詩の行き詰まりも感じていました。それは確かに時代の後押しを受けていないからだと思います。ですが私は、現代詩を含む現代の表現(主に前衛に分類されるもの)は、はじめから多くの人の後押しを受けるつもりなどなかったのではないかとも思います(誰からも評価されなくていいということはないと思いますが)。
それが結果的に行き詰まりであったとしても、その作品に感銘を受ける人だけに支持されればいいという姿勢は、私は嫌いではないです。もしかすると、あと何十年か後に現代詩が脚光を浴びるかもしれませんし(新国誠一さんの具体詩などは再評価され始めている気がします)。
今書けないのは、それとはさほど関係なく、単純に自分が作り手になりたい、詩を書きたい、という動機や熱意を失っている(あるいはそもそも存在しなかった)という状況です。最初は実験的に言葉を切り貼りすればそれ風のものができていましたが、その次のステップに進むことができませんでした。ありていに言えばスランプなのかも知れませんが、現代詩という表現方法が自分に合った方法ではないのかもしれません。
そしてもう一つ懸念しているのは、自分が現代詩に対して感動できなくなりつつあること、あるいは最初から、現代詩の表面的な真新しさに惹かれていただけだったのかもしれないことなんです。それがもちろんスランプにも関係しているでしょうし、こういう状況が慢性的に続いていることで、「現代詩」が「面白くないもの」に見えてきてしまうということを怖れています。
一度本当に時間をとって、みなさんの現代詩(フォーラム以外の作品も)に向き合って、そこからどのような感想を抱くか、「ある感じ」がどんなものか確かめてみたいと思います。今あまり時間がある時期ではないですが、そうしないことにはいつまでたっても「現代詩風」の作品しか創れず、「現代詩」はつまらないものだという認識が変わりそうにないので。
お勧めの作品などありましたら教えて頂けると嬉しいです。長文失礼いたしました。
---2009/05/25 00:21追記---
仲 仲治さま
興味深いコメントをありがとうございます。
私も自分のことを詩で書くつもりはありませんが、そこは徹底されていないようで、ややもすると暗喩的に自分のことを詩中に織り交ぜているときがあります。
それはつまるところ、自分から離れた「物語」を作り出すことがうまく出来ないからだと思っています。
小説を書くこともありますが、大体は物語がうまく構築できずにご破算になります。キャラクター作りも不得手で、薄っぺらい登場人物にしかなりません。それは人とのコミュニケーションとか、そのあたりの経験が足りないことも原因かもしれませんが、その反動でか、ますます物語性やキャラクター作りを避けるような傾向に陥っているような気がしています。当然作品の出来がよくならないので、さらに奇をてらってごまかそうとする、その繰り返しで今に至っていると思います。「呼ぶ火」などでは物語性を意識しましたが、まだまだ表現が追いついていません。
詩における「語り手」の存在を今まで意識していなかった、ということは、まず一つ頭においておきたいと思います。今までの私の詩は、明らかに「詩のための詩」でした(それを狙っていたのかもしれません)。そしてその次に「語り手が何を語っているのか、どのように語っているのか」を考える必要があるわけですが、おそらくこれが私にとってかなり厄介だと思います。単純に今それをできるだけの気力がないということもありますし、前述したような物語を避ける傾向もネックになってきます。そしてなにより、物語性のある、キャラクターが魅力的な現代詩というものを知らないという要因も大きいです。
いつの頃からか私は、物語やキャラクターよりも、表現そのものの面白さや不思議な設定のほうに惹かれるようになっていました。今好きな小説家は安部公房、絵画を見るにしても現代美術と類されるような、分かりにくいとされるものを好むようになりました。音楽にしても、歌詞がいいと選ぶのではなく、あくまでメロディや音を重視して聴いています。
もしかすると、表現したい世界が先にあって、それを書き起こすために物語やキャラクターを設定する、という方が、私に合った書き方かも知れません。しかしそれで詩が構築できるのか、そもそも表現したい世界などあるのか、などが問題になってくると思います。特に後者は、ずっと私の中にあった疑問です。そこを曖昧にしたままただ作品を創るという目的だけで書いていたために、自分はこんなことになってしまっているのだと、そんな風に思っています。
---2009/05/25 21:18追記---
コメント欄でのやりとりも歓迎です。こういうことについて話が出来る機会は普段ないので、新鮮で面白いです。慣れていないので、こういう文を書くのはなかなか苦労しますが、なるべく支離滅裂にならないように心がけます。
考えてみると、私も言葉は好きな気がしますが、詩はそんなに好きでもないように思います。
単に面白い言葉が詩の中に混ざっていることがあるから、詩も面白いんじゃないかと思えていたのかもしれないです。
好きなものを好きなように表現する、ということが出来る人を、私はとても羨ましく思います。好きなように表現するということは、ひいては他人の評価を気にしないことでもあると思うんです。それが、なかなか人の評価から離れられない私には出来ないんですね。
口では「評価なんてどうでもいい」などと言うと思いますが、実際には人の評価をかなり気にしてるんだろうな、ということを自覚しています。この状態を変えない以上、好きなように表現するということが出来ないのではないか、ということも意識しています。
表現を始めた理由も、人に認められたいから、だったのかもしれないと思います。そしてその歪んだ深層心理が、私の好きなもの、好きな表現を見えにくくしてしまっているように感じます。その点を変えない限り、私は一生表現を楽しめないのではないか、という怖れもあります。実際、誰から強要されたわけでもないのに、何かを表現しなければ自分には価値がない、という強迫観念に駆られる事もしばしばです。そういうときに無理やり書こうとしたものは、例外なく出来の悪い作品になります。もしくは作品として完成しません。
だから表現すること自体は別に嫌いでもないのですが、その強迫観念もあって、何かを創ろうとすることが苦痛になることもあります。しかも一つの作品に掛ける時間もどんどん短くなっていき(創作しようという気が持続しないんですね)、即興的なものばかりになります。これは何も詩に限ったことではありません。
そもそも私が表現として好きなものは、詩や小説以上に、音楽(歌詞は重視しません)や絵画です。言語的でないもの、説明できない感動、ただ見て聴いているだけで鳥肌が立つようなものです。ですが音や絵で世界を表現することは、言葉をつむぐよりもはるかにハードルが高く、ただでさえ表現に対する熱意が持続しない私にとっては、不可能に近いことでした。
それで小説や詩で表現をしようとした(という部分もある)のですが、やはりなかなか納得のいく作品が出来ませんでした(特に中編、長編は非常に苦手です)。それどころか着想だけで頓挫した作品が増え、一つの作品を書き続けることもできなくなっていきました。もちろん評価されたこともほとんどないので、一人で勝手にもがいていて、どんどん体力を削られていった、という感じがします。
そのようなことがあって、私が自分で表現をすることに対する自信をどんどん失っていきました。作品を書いている時に、これはあまり面白くないかなと感じると、そこから先が書けなくなってしまいます。またあまり身分的に安定していないこともあり、創作意欲が多少わいてきたときでも、こんなことをしていていいのか、他にやるべきことがあるんじゃないのか、ということを考えてしまうと、よくわからない焦りに苛まれて、創作が進まなくなってしまいます。それなのに、何かを創らない自分には価値がないという強迫観念があるので、いつもその矛盾にはさまれて身動きが出来なくなります。
表現をする上での「自分」が見えていない、見返りを求めない根底的な「表現したい」という欲求が欠けている、そういう問題とあわせて、自分の根本にある様々なことを解消して行かないと、私は本当に好きな表現をすることが出来ないように思います。
詩がかけなくなったわけには、「現代詩を書いたわけと書かなくなったわけ」には書かなかったような、こんな理由もあったようです(この文章を書くことで大分考えがまとまりました)。かなり言い訳がましいような内容ですし、「じゃあもう表現なんかすんなよ」といわれてもおかしくないような、面倒な内容だったと思います。
私がこれからどうしたらいいのかは、正直言って全くわかりません。ですが仲 仲治さんのような書き方もあるのかと、たいへん参考になりました。同じようにして書けるようになるかは分かりませんが、一度試してみたいと思います。
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