作者からのコメント
>相田さん
1対1でやりあうことはここでだって可能だと思いますよ。
っていうか今まさに「批評・散文・エッセイ」でみんなや私がしてることではないでしょうか。
ニューススレに関しては全てが終わってから存在知ったんですが、
多分リアルタイムで見てたとしても、私はあそこにコメントを寄せなかったと思う。
>佐々さん
ニューススレのことですかね? その後の流れも含むのかな(それとももっと前?)。とりあえず含まないものとして書きます。
多くの人間が同じ場所でいっぺんに戦うのだから、各々の考え守っているルールにもずれが生じやすいのは当然です。
ユーモア一つでも、どんなものが、またどのレベルから「個人的な感情だ」「逃げだ」として判断するかは読み手によって違うだろうし。
(私自身はしっかりした線引きが存在すると思ってますが他者とは合致しないこともあるでしょう)。
それは仕方ないんだけど、だからせめて相手に対して誠意を持って対等な関係であるべきだと思う。
そしてそれを持たないと自分が判断した人とは論議なんてできないんだ。
他者のルールに自分のルールが流されていった人が多かったのが混乱の原因の一つだったんじゃないかなぁ。
だんだん感情的になっていったりとか。終始やり方を一貫してる人もいるように思えましたが、自分の論議の仕方と違うやり方で応じようとした人も多かったような気もする。勝つために。
佐々さんの思ういろんな理由を詳しく知りたいです。
追記
全レス読んだわけではありませんが、雰囲気は把握できました。アドありがとう。
今回の柳沢発言やいじめについての皆さんの発言も含めてこの追記を書こうと思います。
この散文は「議論のやり方について考えようよ」ってことを書いたんですが、その後の他の人の発言やスレ読んでると、議論の目的のズレもあるのではないかという思いが強くなりました。
つまり、何かについて様々な角度から追究するという目的を持った人、相手の論理・考えを打ち負かすという目的(相手に自分の考えをわからせたいという欲求)を持った人の違い。
ディスカッションとディベートの違いのようなものかな。
私は前者を目的とした人との議論は何度か経験あるんですが、後者は無いので、この散文は前者しか考慮して書きませんでした。
今読み返せば後者にも当てはまるとは思うけど、押しが弱いね。申し訳ない。
後者はそりゃジャッジする人が必要だと思います。勝ち負けつけたがってんだから。
でもさっきディベートの例えをあげたけど、あれは絶対に二手にわけて行なうよね。
三方に分かれてやったりしないし、途中で入ってくる人もいない。時間も制限がある。じゃないと上手く成り立たないから。
佐々さんの言う「喧嘩」の目的の内容が前者だと思う人(言葉で戦うということ自体を忌避する人も一部含まれるだろう)、後者だと思う人(これが佐々さんの言うリングに上がった人かな?)がそれぞれ混じってやりあったのが混乱の原因の一つではないかと私は思う。
…しかし、思想って基本的に自分で気付くこと・わかることでしか得られないと思うから、後者の人達が行なう議論、個人的には好きじゃないなぁ。
参加者が自分の考えを相手にわからせたいだとか、相手を説き伏せたいという欲を出した時点でもう議論の有為性を欠いちゃうと思うんだけど…。
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