ポイントなしのコメント
[しろう]
僕がふつーに感想を述べてもツマらないなぁ、と思いまして。 生徒A(山頭火)、生徒B(放哉)、先生(井泉水)の句評会形式をとって行います。 (名前はただの僕の好みで付けただけであんま深い意味はない) 井泉水「さて句評会を始めるぞ」 山頭火・放哉「はーい」 >打ち寄するものみな死せり海灼くる 山頭火「連体形の「灼くる」で終わっているので後は省略されているわけだな。「灼く」と来れば当然「日」のことだろう」 放哉「これ、俺だったら『打ち寄するみな死するもの海灼くる』と詠むなぁ」 山「いや、そう詠み換えるなら作者の趣意を汲んで『打ち寄するみな死せしもの海灼くる』となるだろう」 放「俺は韻を踏んどるんよ、「する」「する」「くる」とな」 井泉水「これはな、「打ち寄するもの/みな死せり海/灼くる(日)」と切って読むのが正解だ。ゆえに放哉の詠み換えは不可能だ」 放「なるほど」 山「動/静/現、となっているのですな。そう読むとなかなかの佳作だ」 >草いきれ何もかも恥づかしきとき 山「この句、俺には「野糞をしていて恥ずかしいさま」としか読めないんだが。」 放「違うだろ。これは「草いきれ」がダブルミーニングなんだ。「生きれ」と掛けてるんだよ」 井「それは強引だ。口語文法としてもおかしいし、そもそもこの句は文語体だ」 放「そのくらいの誤用は超えて「生きれ」があるんじゃないですか?」 山「それにしても「恥づかしきとき」は情緒的過ぎやしないか。『草いきれ何もかも恥づべき我ぞ』と詠んだ方がまし」 井「この句は音にポイントがある。カ行である。「く」さい「き」れなにも「か」もはづ「か」し「き」と「き」、でくっきりと切ったリズム感がある。句またがりも効果的だ。それが情緒の行きすぎを抑えているのである。」 >雲の影渡りてゆけど砂灼くる 山「一句目と同じ連体形だな。「日」が省略されているか。」 放「いやこれは一句目とは違い、作者の動作がある。作者が雲の影を渡り歩いても足が灼けるという意味で「灼くる砂」の倒置じゃないか?」 井「作者が「渡り歩く」とは読めまい。山頭火の方が正解である」 山「そうだろ?やっぱ。これは情景描写による暗喩だ。遠景の雲を眺めながら、足元の砂は絶えず灼かれ続けている、寂しい憧れと情熱だ。」 井「ま、それでだいたい合っているだろう。しかし少しつき過ぎている感があるな。あまり驚くところもない」 >はさまれしメモの謎めく書を曝す 放「これってなんか恋人の秘密を暴くってことか?例えばスーツのポケットからキャバクラの名刺みたいな(笑)」 山「曝すんだから違うだろ。「謎めく書」のメモを書いたのは作者で自分の謎を曝すということじゃないか?」 井「ううむ。そう読むと「はさまれしメモ」がどこに掛かるのかが浮いてしまう。「はさまれしメモの謎めく書」まで一連であり「自分の書いたメモがはさまった本」あたりの意味に取れば矛盾がないだろう」 山「ああそうか。目に付くところにそっと置いておいて自分の秘密を謎解きして欲しいという、オトメの願望か。俺は好きだな、そういうの」 放「俺は違う読みだな。「曝す」って語の意味はさ。罪の意識をうたっているのだよ」 >切るものと刺すもので食ふ夏料理 放「これは、「切るもの」と「刺すもの」とが二人いると読むと面白いな」 山「それはないだろうよ。それなら助詞が「で」ではなく「が」または「の」だろう」 井「山頭火の言うとおりだ」 放「となるとナイフとフォークで食べる高級おフランスか」 山「あほぅ。これはより原始的なバーベキューと読むのが普通だろう」 井「料理と食ふが、同時に行われる。切るものと刺すものという鋭い語で生命を頂くという厳粛感を現しているのだろう」 山「俺にはよく分かるなぁ、、、なんせ食うや食わずなもんで」   * >拉致せよと素足を垂らす窓辺かな 放「乙女チックだなぁ。俺嫌い。」 山「乙女チックじゃないわ。こりゃオンナだよ」 井「拉致という言葉で現代的に面白く表現しているじゃないか。素足と窓辺のマッチング/シチュエーションも良い」 放「とはいえ好みが分かれるな」 山「俺は迷わず拉致するね、こんなイイオンナ」 >夏芝居仮面の裏に血の雫 山「本当に芝居がかっていて俺の好みじゃない」 放「や、おもしれーんじゃねぇの?仮面の奥じゃなくって仮面の裏だよ。あとで仮面を脱いでみたら血の雫が付いてたってわけさ。時の流れもあって面白い」 井「放哉の言うとおり。これは芝居と表しながらその実芝居じゃなかったという自己矛盾を現している。佳作だ」 >揚花火仰ぐ喉もと傷あかし 山「これも、俺は好きじゃない。まず傷の出所が分からない」 放「おいおい固いことゆーなよ。あかしは「赤し」と「証し」と「明かし」と「明石」の四つの意味があるんだよ。つまり大阪でな、「明石焼き」を食いながら淀川花火大会を見てたってわけさ」 井「それは読み過ぎだ(笑)」 放「まぁ「明石」はさておき。これはさ、要は花火を仰いでるやつの喉もとを見てるってわけさ。自分は花火を見上げちゃあいねぇってことよ。しおらしいじゃねぇの」 井「傷にはなにやら秘め事も感じられるな」 放「そうそう。キスマークかもしんねーし、ひっかき傷かも噛み傷かもw」 >主(あるじ)には首の傷なき夏館 放「むぅ、前の句の意味を引き継いでいるのだろうけど、ちょっとワカランな」 山「こっちは分かるぞ。さっきの対象とは別人なのだ。花火から帰ってきて主(あるじ)を見る。傷がない。そうだ傷がないはずだ。それでも夏館が立っている。やはり主(あるじ)の家だ。錯誤感・困惑感そして罪悪感だ」 井「ふむ。前の一句がないと意味が通らないのは難点だが、先程よりも描写は抑制され、かえってより情感が豊かに描かれた佳作だ」 >涙して脅えしものを夏料理 放「屠殺か。それ以上に読めない」 山「いや、「涙して」は作者で「脅えしもの」を対象と読めばよかろう」 井「「涙して」も「脅えしもの」も作者と読むのが正解ではないか」 放「おお、なるほど。そうなるとしかし前半の夏料理とは違うものになるな」 井「思い出の悲しさ苦しさを振り捨てて克己するというところに落ち着けば良かろう」 山・放「なるほど確かに落ちますな」 なーんてね。結局ただの読解と感想になってたりして(笑) 「話者」でなく「作者」と皆が評しているのは俳句だからです。 僕自身は「話者≠作者」として読んでいるので誤解なきようお願いします。
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