ポイントなしのコメント
[リヅ]
「こういう見方もあるんでないの?」って軽い気持ちからのコメントで、
特に批判をする気でもなかったので、ちょい驚いた。
新しい視点の提案をしたら、それに対する返答で私も新しい視点得られるかなー…みたいな…。
そのことだけ最初に書いとくね。以下は、真面目に批評です。
エッセイ自体にはどちらかというと共感したんですよ。
実際、私もその紙切れは薄っぺらいと思う。
あんな紙切れで「僕は間違ってた!自殺やめよう!」なーんて人間が出てくるとも思えない。
ただ、もうちょっと違う角度からも見れるのではないかと思って、あのようなコメントを寄せたわけです。
(例えば、「戦争反対!」って言葉、ありますよね?私あれ、すっごい薄っぺらいと思うんです。
平和な日本でそのセリフを声高に叫んでも戦争で死ぬ人は一向に減らない。意味が無い。
「戦争反対!」を叫ぶことによって、みんな自分が優しい人間であるかのように思い込んで一人悦に浸ってるんじゃないのか、と。
…でも、「戦争反対!」って言葉が世論として力を持って憲法改変をなんとかせき止めてたりもするんですよね。そういうことが言いたかったんです)
“無い方がいい”とは確かに書かれてませんが、“意味をなくしてしまっている”とは書いてらしたし、
特に“命を大切に”の紙切れの良い点などに触れていなかったので、
「全く意味が無いわけではないんじゃない?」ってことが言いたかったのね。
>>そういう言葉が世の中にありふれてる方が誰か個人が大切な人に気持ちを伝えたい時にすぐに思いついてその言葉を使うことができるから。
>これにはあまり賛同は出来ません。
>薄っぺらな“命を大切に”ばかり聞いているとその人の言葉も薄っぺらく聞こえるような気がするんですよ。
もうこれは個人の感覚の違いかなぁ。
私は個人から個人へ気持ちを伝える時、言葉はその気持ちを伝えるのに一番適した形であればどんなんでもいいと思う。
言葉は気持ちを伝達する手段でしかないから、気持ちが薄っぺらくなければ、
例えありふれていても言葉も薄いもんじゃないと思うのだけど。
その証拠に、「頑張れ」「好きです」なんて言葉もテレビドラマや音楽の世界で凄くありふれていて、
視聴者、リスナーなど大きすぎる対象に向けてがんがん発信してるけど、
個人から個人に伝える時、薄っぺらくなるようなもんでもないでしょう?
(世の中のラブソングの詞は全て大きすぎる対象に向けて発信されてるから薄っぺらいかと問われればまたそれも違ってくると思うけども…)
そうそう、余談だけど。愛する人に「死ぬな」言われたら思いとどまるだろうっていう例えを読んで。
「死にたい」って言う人に「死ぬな」って言うのは一番まずいんだよねって院で臨床心理学勉強してる人が言ってた。
実際、私も過去に親にそれ言われた時、「死ぬな言われても死にたいもんは死にたいんだよ、
私だってどーすればいいのかわかんねぇんだよ、こんなに苦しいのにどーしろっつーんだっっ」と逆ギレしたことがアル。
…今は余裕あるから親の気持ちも考えることができるけど…言葉って難しいやね…実の親だし愛してなかったわけではないと思うんだけどなぁ…。
うん、でもいろいろ書いてきたけど、梟さんの文章には共感できる所多かったんですよ。
“感情を込めて言ってもらわないと“命を大切に”などという言葉は薄っぺらいものになってしまう”のはもっともだ。
“対象を大きくしすぎて薄っぺらくなってしまう”のは別だと思ったけど。確かにそういう傾向はあるだろうけどね。
…あー。まとまってない文章になってしまった。
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