ポイントなしのコメント
[ひだかたけし]
〉追い詰められて、孤独で、悲しいときに、一心に神に祈ったとき、神は僕のもとに五次元の光をもたらして下さった。 失礼ですが、ジム・プリスマさん、 真の孤独と云うモンスターとの出逢い時の瞬間に、 悲しい 等という感情は在り得ないのです。 只々、唖然と凝視する沈黙の恐怖が在るのみです、 孤独モンスター(自らSOLITUDEになる契機としての)怪物です。 このことは、僕自身の三歳時の体験(他)を詩表現した折、 貴方自身、こんな孤独に出逢ったことは自分にはない、 といった事をコメントに書いて居ました。 孤独では無く、それは単に孤立 に過ぎません、貴方が体験したのは。 そして、孤立Isolation・Lonelinessから神々との真の出逢いの契機は生じ得ません。 出来得るのなら、 今一度、自らを突き放しつつ、振り返ってみて下さいませ。 ---2025/07/25 22:45追記- ---2025/07/26 08:55追記--- ジム・プリスマさん、 僕は祈り(信仰)の途ではなく、認識の途を穿ち進んで居る者です。 そして、その現実リアルな意識変革の成果=驚嘆・驚愕は、日々の詩表現として 対象化した上で正直に記録しています。 自己意識が変われば(現状の感覚的物質意識から超感覚的認識意識へと更にレベルアップしていけば)、世界も変わります。 (世界が変われば意識も変わる、等という甘チャン左翼的観念思弁的発想フルッ!とは真逆、ですね)。 もちろん、信仰の途も、それが命懸けのものであるのならば、ありだと想って居ます。 両者は、それが真剣誠実なものならば、いずれ同じ頂きに至るはずです。 (ただ、今日びの人間の意識を覆い染め抜く唯物的自然科学的認識意識からすれば、祈りの途より認識の途の方が取り組み易い ということは云えると想います)。 何れにせよ、真の科学(哲学)・芸術(宇宙論)・宗教は、嘗ての本能的夢見白昼夢意識では無く、覚醒した昼間の対象的意識に依って統合されなければなりません。 以上、誤解無きように願います。
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