ポイントなしのコメント
[アラガイs]
マクロ的な意味合いで捉えるならば真に人生を能動的に生きた人間を私は知らない。人は産まれて死するまで誰かによって異存され共存して生きてゆく。それは理性に基づき独自の集団社会を発展させ作り上げてきた。人類のみが持つ叡知の基盤から我々は何人も自発的に逃れ出ることは出来ないからだ。これは例え文明人ではなく未開人であろうとも、人類は集団に属され共に規律の上に暮らし充足する。まったく孤界に離れた自然の中で、親兄弟からも離れ、何人と接触することもなく、一人自然を糧に生き続ける孤狼のような人間を私は知らないからである。理性ある人類とは、つまり本質的に受動的な生き物なのである。そのような受動的な生活の基盤の中で能動的に生きる意味目的とは、理性に基づく社会生活の基盤を根本から否定し打ち壊すことである。そのような解釈にもつながる。よって文学などと称するものの高次な目的のひとつには、受動的に生きる人間を能動的な虚構に誘うためのひとつの戯れ言に過ぎないと肯定されることにもなる。
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