ポイントなしのコメント
[アラガイs]
自身を小刻みに震わせながら………七聨に於いて自身のこころの動きがはじめて言葉によって表される。(自身)は(我が身)とされた方がいい様な気はします。
特徴でもある反復を繰り返しながら横の揺れと縦に伸び上がるような線影で言葉は置かれていきます。
印象として、離れようにも離れきれないもどかしさを感じる。重力に引き付けられた息苦しさを感じます。これは型という枠があるからこそ表現できるものでしょう。
光と影、水面と空、静寂と音、明滅、花と羽、そして自身を燃やす炎、足跡、街、遠く、近く、ひかり、、それは遠景から近景へと。各聨は関連もないように読める形容の描写が、虚無を誘いながら場面は幕を閉じるように終わりの聨に集約されています。。つまりこれだけ形容によって描写は書き散らされ語感は表されていても、凡て自己の内面の世界へと移し換え還元させれば詩的に無駄は無いと思考できるのです。
力量のある方ですが、もうひとつ見方を変えれば形容に囚われて言葉がひとり歩きしてしまう典型的な例にも読めてきますね。いくら閉じられようと開かれて終わろうとも、 自己をみつめる眼差しが我々に伝わらないとより共感は得られない。それには何を媒介させればよいのだろうか。
戻る
編集