ポイントなしのコメント
[動坂昇]
お勉強がお好きなのだなと思いました。
もちろん優れた文学者は絶えず本質を見抜く機会をうかがっており、そのために文学以外の分野にも注意を払っているはずだと信じます。しかし、広田さんの書いておられるところをみると、広田さんにおかれましてはせいぜい文学が他の諸学の鏡としての機能しか期待されていないのではないかと思えてしまいます。それではひとが詩を読む必要はなくなります。なぜならば、初めから文学ではなく他の諸学の書物を読んだほうがよりよいということになるからです。
文学においてしか表現されようのないもののためにこそ文学の中心は開かれているべきです。さもなければ文学の initiative は成り立ちません。実際、社会科学の領域の学者が文学に目を向けるときというのはまさに、これまで誰にも語られたことはなかったけれども自分がこれから社会科学の研究方法を用いながら問いたいと思っているあるひとつの問題の本質が、ある文学テクストのなかに見事なほどによく表現されているように見えるときでしょう?
なお言葉尻を捕えるようですが、私の思うに、瀬尾郁生の詩は『アンユナイテッド・ネイションズ』などよりも遥かに以前から社会への意識を備えていました。そしてそれ以上に、彼は世界の隠喩としての詩/隠喩としての世界の詩学をごく初期から追求していました。そのことは詩だけではなくて評論集からもわかります。『アンユナイテッド・ネイションズ』によって成し遂げられたのは、もっと別のことだと思います。
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