ポイントのコメント
[窪ワタル]
詩は、何の役にも立たないかも知れない。少なくとも、詩集を買っても腹は満たされず、新しい服や靴を実に付けたときのようなたどたどしい晴れがましさもないとおもう。けれど、本当に詩が求められていないとすれば、ネット詩も、詩ボクも、スポークン・ワーズも、ポエトリー・リーディングもありはしないはずだ。 ストリート・ミューミュージシャンの若者達も、言葉に強い関心を持っているかもしれないし、言葉と絵のカードを売る人がいて500円もするのに集めている人までいる。それらも煎じ詰めて云えば 無駄なものなのかもしれない。音楽も、美術も、映画も、ファっションも、本当に必要かといえば疑わしい。けれど、人間は、意外とその無駄なものに囲まれて生きる事を望み、無駄なものに、その本来持っている価値以上のものを求めたり、その、いい加減な価値に救われ、支えられさえして生きている。詩も、ある人々にとってそういうものなのだ。ただ、問題は、昔は静かにしていて良かったその人々が、静かにしていると、その価値あるものを奪われかねない時代になってしまったのかもしれない事だ。詩が必要な人々が、静かにひっそりと楽しめない時代はきっと、あまり幸福とは云えないとおもう。けれど、そういうものがまだ手に取れるうちに、当たり前のことだとおもっていられるうちに、それを奪う力に対抗する準備をしておかなければならない気がする。
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