ポイントのコメント
[大町綾音]
初めからイカしたラッパーぶりの音調が音を立て始める。ホロウ・シカエルボクさんの詩を読むさい、BGMのようなものは余分で、わたしは他人の詩を読むとき、自分の詩を書くときですら音楽をかけていることがしばしばなのですが、ここにはそれを超越・圧倒するようなたしかな戦慄があって……例えば、「真実なり真理」などという表現は、昭和初期の作家を思い出しました(わたしもよく模倣します)。「カーペットが旨そう」これは、「美味そう」が良い。でも、他人の志向を否定はしません。このころから、わたしはすでに夢中になっている。心を奪われた、父の介護をしているなどという無職者でなければ、わたしの時間を返せ、というところです。でも、それがブンガクの(背徳的な)価値なんだろうな……これはやはり、タイムトライアルで結果を出せばポール・トゥ・ウィンになる、モナコ・グランプリのような作品なのです。作者の生活に、その源泉と答えのすべてがある。「人を見習え」ということを、現代流にわたしは言わないのですが、「ここに人あり」ということは思っても良いと思う。人生に呆然自失とし、自分のすべてを失ったときに、このホロウ・シカエルボクという詩人に自分のすべてを見出しても良い。バロウズ? あんなのはクソです(いや、米語ならどうなのかは知らない)。この時代、インターネットという「離れた場所」で、ホロウ・シカエルボク氏という詩人に出会えたことを至福と感じます。
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