ポイントのコメント
[ツノル]
趣味で詩を書き上げる人が詩人なんて名称を生業にすれば、それは極楽道を興じる人間を指すことになります。 祈りと同じく有り難がられなくなってしまえばただの書き言葉ですが、それでも我々が言葉にすがりつきたくなるのは、そこに言葉を超えた何ものかの力を感じるからでしょう。それは人々が神と呼び表すものの見えない力のことかも知れない。 書き込まれた言葉を読むその目的とは。 書き込められた人々の魂を読むことに他ならないのかも知れないですね。
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