ポイントのコメント
[アラガイs]
ネット環境による特性のひとつは、もちろんコミュニケーションにあります。ならば特性を謳うネット詩媒体はどうでしょう。わたしなども書き込みをしている文極の排除というやり方はどうにかならないものだろうか。誹謗中傷ならばともかく、眼に余る暴言ならば削除するか無視をし、たとえ罵りあい醜態を晒す結果となっても、そのうち火が消えるように自然と互いが離れてゆくものだろう。何でもかんでも排除というやり方を取れば次第に小さな枠組の固まりに収束され、結果ものの見方そのものを狭量と推し縮めた世界観で眺めることになりはしないか。家具のない空き家の風化がその勢いを増すように、諦めから組織という集合体の箍が捩れ、廃れていく様はいままでにいくつも見てきているのです。
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