ポイントのコメント
[N.K.]
昔のことですが、自己嫌悪をこじらせていたと時に、借り物の身体 と言う考えに、助けられたと言うか、救われたように感じたことが あります。自分で自分の身体をどうにかできるのだと考えること が、自分を創ったものを自分のところまで、引きずり落としてまう ことだという考えが、なぜ自殺はしてはならないのか、といった問 題の文脈で、納得できるように思えたからでした。  話はかなりそれますが、自殺の問題では、ボンフェッファーの ような文脈で、悪に抵抗する最後の手段として、認められることも あるかもしれないと、おやじになってしまった今では、思います。 もっとも、この場合の悪とはナチスに否応なく協力しなければなく なった時などの様な、極めて限定的な場合になると思います。ま あ、昔の自分が、自己嫌悪をこじらせていた文脈とは、最も遠い 文脈だと言えると思います。 延々とこの詩に関係ない事を述べてしまったように思います。 この詩では、作者に他者が立ち現われ、その他者に対する思いや りという言葉だけでは足りないなにかが、真摯に訴えられている と感じました。 ---2013/05/13 21:57追記---
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