ポイントのコメント
[アラガイs]
読み手を惹き付ける工夫というのはときには対極に位置するもの。それは午後の鐘が知らせるように辛辣でもあるのです。
※
あまりにそっけないので、少し解説を加えます。
この二つの文を相対的な観念論で捉えるならば、作者が記述している天井と地上との交わり。これは場を形成する上での時間と空間を超えた存在論ということになります。これを形而上的な哲学で主観的に捉えたならば、その相対性を座す認識とは、さしずめ実在的宇宙科学を対象とする理論物理学でしょうか。一方で観念的な意識を客観的に捉えたならば、その存在論はどのようにもイメージできる、より偶発的な未知のリアリズムということになります。なにやらダリの絵画を思い描くようなシュールな世界観ですね。
上に上げた最初のコメントは、その差異が解りづらいという意味合いですが、もちろんこれを間テクスト的に硬く解釈されたなら、ディスクールに虚構された世界の構築は、純粋に意味の生成を含み示唆する行為だとは思われます。
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