ポイントのコメント
[まーつん]
戦争における利害とはなんでしょうか。
民族問題や領土問題に端を発した中堅、小国同士の戦争に大国が介入するとき、そこには経済的思惑が絡んでいることがよくあるそうですね。
その国の未開拓な市場を自国の企業に独占させよう、とか、貴重な埋蔵資源を自国に有利な条件で取引しよう、とか。
こうした大国の姿勢は、過去に幾つかの武力紛争を助長してきたようです。
また、軍需産業に力を入れている国々も、様々な武器を売りさばいているという意味で、戦争を直接的に助長しています。
アメリカもそうですし、中国、ロシアなど大国のほとんどがそうでしょう。
もし人間を、戦争における兵器の1つだと見なすとするなら、
壊れた兵器を直して戦地に送り込むのは、火に油を注ぐ結果にしかならないのではないかという危惧は、もっともだと思います。
ただ問題は、人間は兵器ではないということです。何かを破壊するためだけに生まれてきたわけではないのに、
そう命じて戦地へ送り込むこと自体どこか無理があります。そして、医者の性(サガ)というものがあると思います。
自分たちが下した医療行為が、大局的に見て戦争全体の死傷者の数を増やすことにしかならないかもと頭では分かっていても、
目の前で血に染まりうめき声を上げる兵士たちの訴えを、黙殺できるものでしょうか。
そういう時、人は本能的に救いの手を差し伸べようとするものです。医師であればなおさら。
この理性と感情のジレンマは、現場にいる当事者たちが一番身に染みてわかっているのかもしれません。
全ての赤十字のスタッフがそう感じているかと言えば疑わしいですが、自分たちがしていることは本当に正しいのか、
日々気持ちを引き裂かれるような思いでメスを握る医師や、包帯を巻く看護婦もいるのではないかと思います。
兵士たちの全てが戦争の意義や目的を理解しているのか、と言えば、恐らくそうでもないでしょう。
例えばアメリカの陸軍は、貧しい生活から抜け出るために軍隊にやってきた若者も多いと思います。
一方で子供のころに貧しい村から連れ去られて、軍事キャンプのようなところで訓練され、
戦闘技術や敵対思想を叩き込まれた紛争地域の若者たちもいます。
そんな彼等が負傷して運ばれてきたとき、見殺しにはできないというのが医師たちの本音なんじゃないかと思います。
兵士たちを救うべきか? 彼らが誰かを殺しに行くとわかっていても? あるいは見殺しにすべきか? 彼らが目の前で死んでいくとしても?
多分、どちらが正しい、ということはないのだと思います。どちらも正しく、どちらも間違っているのです。
ただ、この詩を読んだ時、HALさんの視点は、非常に貴重なものだと思いました。
戦争が嫌だと口で言うのはたやすいですが、現実的なレベルにまで踏み込んで戦争における個々の組織の在り方を問いかける詩人は、非常に稀な存在だと思います。
事実僕も、感情論で書いた反戦の詩を投稿しましたが、赤十字の兵士に対する医療行為の妥当性についてなど、ちらりとも頭を掠めたことはありません。
恥ずかしながら、ただ嫌なものを嫌だと言っているに過ぎないのです。その意味で、とても学ぶことの多い作品で、敬服しました。
はた迷惑なぐらいに長くなってしまいましたが、書いていて、とても充実した気持ちを味わえました。こうした問題を考えるきっかけを頂き、感謝します。皮肉ではなく。
人の作品の尻馬に乗った形で、恐縮ですが…
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