ポイントのコメント
[るか]
ちょっと論点がずれるかも知れませんが、思いつくままに感想的な考えを書いてみます。 ・「詩が他者や社会に渡り合う」とは何でしょう。詩にとってそういう時代があったのでしょうか。どうしてそれが、詩の問題なのでしょうか。 ・「1人称に回収されない2人称、3人称」とは何でしょう。他者性の問題だとするなら、私は”全て私の世界で起こっている”という限界から出られた方を知りません。 ・私の特権化、とは何でしょう。誰にとっても、私は特権的なものではないですか。もし違うなら、かんたんに人の奴隷になれるでしょうし。それのどこがいけないのでしょう。 ・抒情性とか、”独善性”なるものに、そもそも何ら問題を感じず、それを避けようとしてきたから現代詩はすっかり下らなくなった、そういう私のような立場からは、何ら響くものがないというのが正直な所です。思想と感情(感性)とが繋がっているからこそ、感性的な表現(芸術)の意義はあるんではないでしょうか。思想なら、散文で表現したらよいのではと感じてしまいますねえ。 ---2012/10/18 15:32追記--- ・下記の”あなた”の例が成功しているように見えるのは、人の死というテーマがまだかろうじて有している神話的な作用、つまり多くの人の感性の”ツボ”を利用しているからではないんですかねえ。そこでならガード下げる人も多い、っていう。そもそもさ、自説の論拠として、自分の追悼的な詩を再掲するとかって、恥ずかしくないんでしょうかねえ。自分で自分の真意を否定するような行為だし、相手や親族に失礼じゃないんだろうか。そのへんの神経も分からないし。フィクションならたちわるかろうし。なんかなあ。 ---2012/10/18 17:11追記--- いや、本気で、瀬尾みたいのがいい仕事していると信じておられることが確認できたのは、私にとって収穫でした。いや、悪気あってのことではなく、たぶん接点がつかみにくくって、こういう調子になってしまうということですね。そこはご了解下さい。 ---2012/10/18 17:14追記--- あと、別に争うことじたいが目的で書いているのではないですよ。コミュニケーションですから、あなたの考えが知りたいということですねえ。
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