ポイントのコメント
[アラガイs]
「とにかく生き延びなければならない、子孫を残さなければならないのだ。」「利己的遺伝子論」で知られるドーキング博士の仮説通りすべての生物が遺伝子を残すための乗り物に過ぎないのならば、たとえ肉体は滅びても遺伝子だけは残さなければならない 。それは自然環境変化による進化過程のなかで生物の遺伝子は突然変異を繰り返す。遺伝子に突然変異が生じたある線虫の平均寿命は1,7倍〜2,1倍まで延びるという 。ある遺伝子を傷つけると老化が抑えられ、つまりェィジングが抑えられて長生きすることから「age‐1」と名付けられた 。この1988年ジョンソン博士によって発見された線虫(シーエレガンス)は老化の物理的ダメージ説を根底からくつがえす 。
ヒトゲノムの解読により人類のテクノロジーはips細胞(人工多能性幹細胞)をも作り出すことに成功した。
リビドー(性的衝動)は対象へ向けられる対義として、その自我は社会適応へも変形されてゆく 。デリダ゛は言う。「テクストの外には何もない」しかしこうした実証主義の偏向的な態度を疑念するそれより以前に、プルーストなどは創造された「作品」を理解するためにはその作家を取り巻く時代背景の検証がなければならないと主張した。
「本質的な意味での独自性などありえない」こうした現代思想によるニューアカデミズムの衰退から去勢されたテクスト批評は、ヒストシリズムへの歴史的文化事象と回復を試みる 。
レトリカルリーディングー多義性ー曖昧性ー二項対立 。性的差異からフェミニズムへと。去勢歌手ザンビネッラに夢中になるバルザックの「サラジーヌ」は去勢という一語を仕様することによって意味の凍結を差延化している 。サラジーヌの男性中心主義を脱構築するばずのバルトの男性的な思考原理は、この去勢を究極的な意味化へと勃起させることでサラジーヌの仕草を繰り返す 。テクストの曖昧性に苛立ちを覚え、テクスト自体が拒絶するのを無理やりテクストに強いているのである 。
「神は死んだ」遥か以前、新しい倫理観を形成する超自我の目覚めをニーチェは嵩らかに宣言した 。
今日、コンピューターの発達にみる電子テクストの検索機能ー文字情報 。
しかし、我々が讃える多種多様な神はいまだに生きている。歴史に変貌させ、常に我々の前にその聖棺を啓示する 。
生殖関係による性差の懸隔は、多様な異質性を取り込みながらも、思考はいまだ差異を克服されずにいるのだ 。
7〜8億年以前、多細胞へと進化した我々の遺伝子は多種多様な生物を造り出し変異を繰り返した 。
類人から原人へと、人類も進化の過程で道具を使いこなすことにより脳は急速に発達する 。意味ある発語の発達はやがて文字記号を獲得する。かって「言葉とは、概念や対象物を指し示すための道具」であった 。ソシュールの言説によれば「あるものを指し示すための道具である」ことをやめる 。言葉を知る以前から概念や事物が区分けされ分類されているわけではない 。つまり、概念や事物がまず先に存在し、そこに対応する形で言葉が生まれるのではなく、言葉が存在してから初めて、概念や事物が誕生する(初めに言葉ありきと)。「言葉はこのような古典的記号ではない」と、ソシュールは言う。
事物の存在論的優先に対し、事物や概念には実体的な価値や意味を見出だすことはできず、システム内のネガティブな差異によってのみ価値や意味が決定され、我々の世界は構造化されていると。。
以降、世界は実体であることをやめ言葉という視点が産み出す対象となる 。この革新的な視点は実体から関係へと批評論を変貌させた 。
しかし、この関係論的世界観にみる究極の意味、真理を求める態度は「本来、人間の持つ弱さに他ならない」とニーチェは言う。我々はまたしても時間の制約の内に酩酊の舞踏を踏み続ける。
止まることのないリビドー。アルトーが提示した「器官なき身体」が目指す地下茎の根は、オートマチズムス(完全管理社会)による突然変異の機械砂漠をさ迷う 。言表は狼おとこのみるオィディプスの肛門のなかに白昼夢を探す。是正された汎テクストは共通のパラダイムを描出しようと再表のなかで止まる。しかしコンピューターに管理された情報はあらゆる語学を網羅する。
デジタル処理された記号は創造と構築のなかにアナログ思考の変換を閉じ込める。やがて変異されてゆく血の遺伝子に、器官なき狼おとこの肉体は夢が枯れるのを知らない。リビドーは処理された夢の遺伝子のなかで共通のパラダイムを認識する。樹木は枯れ、そして新たな本質の土壌に芽生えた一粒の種子。群れから離れた狼おとこは餓えのなかでその種を宿す。変異し克服され産み落とされる狼の種を、我々は忌み嫉み眺望し、光源の彼方へ撒き続けなければならない 。
※参照 「長寿遺伝子を鍛える」…坪田一男 。「現代文学理論」…新曜社
戻る
編集