「私は何も言いたくない」/ななひと
まれることもあり得る。「何も言いたくない」と表明しなければならないのは、自己が、他者に、「存在」として認められ、何かの「内容」を持つ主体として認められ、なおかつ、それを自分では認めない場合である。しかし、そこで、「何も言いたくない」と言ってしまうと、先述するが、「何も言っていない何か」が、自分ではなく、他人によって、自分の中にあると決めつけられてしまうのである。
極言すれば、「内面」はこのようにして生成する。本来私の中はからっぽである。そういういい方も甘い。私は存在しないのである。しかし、それが一旦引きずり出され、他人に「指をさされる」ことによって「私」は浮上する。「私」の中身は空っぽである。しかし、中身がないことを、言及した/された瞬間、私の中には「何か言われざる何か」が存在させられてしまうのである。
私たちの「内面」は、私たちのものでは全くない。
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