表現することに対する一つの提案/ベンジャミン
何かを表現しようとするとき
そのものが、実在するしないに関わらず、まず「在る」ということを受け止めてみる。
たとえば「音」
鳥の声が聞こえてくる。しかし姿はみえない。
このとき
「姿無き鳥が鳴いている」のと
「姿無く鳴く鳥が居る」のとでは大きな違いがある。
前者は、聞こえてくる鳥の声に対して鳥は浮かび上がらず
後者は、鳥の声だけでなく見えないはずの鳥の姿をも感じさせる
さらに言えば、前者の場合には「鳥の声を聞いている自分」を感じざるをえないが、後者では、その「自分」が自然に打ち消されている。
このように、まず「在る」ということを受け止めることは、その「在るもの」がその容姿に関わらず大きな存在であるほど、表現されたときには用いた言葉以上の印象をもたらすのではないだろうかと僕は考えている。
宇宙で、星が輝いている
それは、「輝く星を抱えた宇宙」であるように。
言葉の向きをより大きなものに向ければ、自然と世界は広がるのだと思う。
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