近代詩再読 八木重吉/岡部淳太郎
 
なった『貧しき信徒』(一九二八年)から引いた。「甕(かめ)」の方は「うつろ」な「甕」のすがたに自らの姿を重ねている。「甕」の「なんにもない/おまへの うつろ」が同じように「うつろ」であるだろう「わたしの むね」と共鳴している。「あやしくも ふるへ」ている。いっぽうの「草をむしる」の方は、「草をむしる」という自らの行為が、本来持つであろう意味を脱ぎ捨てて、ただの行為そのものとなっていく実存が語られている。いずれも佳作と呼んでいいと思われるが、同時に「これは何だろうか」と思わせるようなものを持っている。その「これは何だろうか」という感覚は、「この詩はこれでいいのか」という疑念と「この変な感じは何だろう
[次のページ]
  グループ"近代詩再読"
   Point(14)