檸檬の歩行/塔野夏子
 
白くしずかな八月の
午さがりのあかるい部屋である
私はただソファに横たわっている
そして部屋の中空を
一個の檸檬が歩きまわっている
まるで散歩でもしているようだ
いつのまに出現したものやら
まったく気づかなかった
どうやらしばらく消え失せる気配もない

私はしばらく目を閉じ
また目を開いて檸檬の歩行を見つめる
いくたびかそれをくりかえす
この檸檬は
やはり白くてしずかだった八月のあの日に
あのひとの掌にあったものではないか などと
埒もないことを思ったりしながら

とりとめない散歩をしているように
部屋の中空で檸檬の歩行はつづく
あかるい午さがりに
ちょうど一個分の闇をたしかに連れて





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