火葬/岡部淳太郎
 
それにしても、夏は暑い。この国には火葬と
いう習慣があって、それは宗教的な起源を持
つものではあるが、文字通りいまや習慣とし
て、その色彩を留めているのみだ。たとえば
他の国では土葬が一般的な葬送方法としてあ
り、そうした習慣の中にある人々の中には、
死んだ人間の躰を焼いて骨だけにしてしまう
など野蛮だと、考える向きもある。だが、既
にこの世にない愛しい者の躰を形作っていた
物質が、焼かれて灰となり、煙となって空に
昇り、この流転の自然の中を巡っているので
あれば、死んだ者を焼いて送るのも、故なし
とはしないだろう。そう考えれば、この蒸気
性の暑さも、少しは許せるように思えてくる
のだ。かつて私の傍にいたあの人も、そのよ
うにして分子となり原子となって、そのうち
のいくつかが、私の目の前を通り過ぎている
かもしれないのだが、私はそれに気づくこと
もなく、変らない鈍さの中で、よろけながら
歩いているのだ。それにしても、夏は暑い。



(二〇一〇年八月)
   グループ"散文詩"
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