笛吹き少年の行くえ(5)/Giton
 
描かれます。
『冬のスケッチ』では、叙景も何もかも、作者の主情として表明されていましたが、ここでは、登場人物(少年)の眼なのか、それとは別に作者の眼があるのか?少年と一体化した作者の眼で見ていると言うべきでしょうか。
すくなくとも、「雪の蝉」は、少年の「藁沓」が踏む雪でしょう。
空やクルミの木も、作者の主情から離れた客観的な描写に近づいています。

第2連の:


「青きそらのひかり下を
 小鳥ら、ちりのごとくなきて過ぎたり。
 青きそらのひかりに
 梢さゝぐるくるみの木あり」


は効果的です。この情景は、どこか悲しみをふくんでいます。

それは、おそらく、第1連の・麻糸から丹精に少年の着物を作ったであろう「若き母」──場面には登場しないので「織りけん」となっています──は、ひとりで出かけた少年の身を案じているにちがいないこと、また、第3連の「雪の蝉」の声とクルミの「かぼそき蔓」という叙景が、少年の行く手に不安を抱かせるからでしょう。。。
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   グループ"宮沢賢治詩の分析と鑑賞"
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