川柳が好きだから俳句を読んでいる(7、津沢マサ子のこと)/黒川排除 (oldsoup)
 
。当初、つまり一九七〇年前後には多く見られた一月から十二月までの表記的な存在や少女から老婆にいたるまでの成長における時間への執着は後年では少し消えて、代わりに昼夜を表裏的に捉え時間の概念をあえて物質に置き換えるような試みが表れてくる。しかしそうはいっても第一句集の名前は「楕円の晝」(晝は昼の旧字体)なのである。句集の題名が長い年月を経て作品へと浸透したのだろうか、それとも句集の題名が今後の予定になっていたのだろうか? 今まで書いた句をまとめたものが句集なのに?

 失えるシーツの裏の昼銀河

 結局津沢マサ子はまぶしすぎる昼なのだと言い切ることでしか先へ進めない。これより先の句集の題名に使われている「空」「風」「0」はいずれも無辺のものである。知覚上、無辺であるものに輪郭は存在しない。津沢マサ子は輪郭を失い、どこにいるか・どこにあるかも分からない。昼(hiru)という言葉に潜むいる(iru)という音を手がかりに目隠しもされないまま何も見えずに手探りでそこにある何かに触れるしかない。あるいは想像を超えて素直になれるようなことがあれば、本当に作品を読むことができるのかもしれない。
   グループ"川柳が好きだから俳句を読んでいる"
   Point(0)