或るコーヒーテーブルの傍らで/りゅうのあくび
 
人生というものは本来
純粋なものなのか
という素朴な問いに対して
年上の彼の立場としては
人生はかなりのものが不純物で
出来ているという話をしていたはずだった

ここに座って
潤している咽喉の渇きだって
南半球のコーヒー農園で作られた豆と
蒸留水と
人間の清らかな汗とで
組み合わせたものを飲むことで
満たされるものではないと云う

その話題については
一緒に建物の二階にある喫茶店に入って
話をしていても
二人はほとんどまったくといっていいほど
異なる人生を歩いているわけで
肯くことができないところもあったけれども

それは
人間の孤独というものの解釈によって
変わってくるということであった
そもそも人間は一人で生きていくことはできない
だからコーヒーテーブルにだって
意味はあるのだろうし

二人は喫茶店を離れて
都会の雑踏で小さな旅がまた始まるわけだが
きっと一杯のコーヒーの味覚には
人生の純朴さそのものの苦みがある

   グループ"コーヒー・アンソロジー"
   Point(7)