【批評祭参加作品】石原吉郎の可能性 ー石原吉郎試論ー/石川敬大
 
あるといえるだろう。
 先に引用した安藤元雄の同書のなかにも鮎川と同質の言質が見える「彼の詩は、きわめて純粋に言葉それ自体でのみ書かれた詩としての性格を、年とともに明らかにして行った」と。肉体の体験を言語に置き換えていったその行為こそが石原吉郎を詩人たらしめている理由のすべてであるだろう。石原の詩を読む時にはその転換力の迫力、意識の力技をこそ読むべきなのかもしれない。
 ぎりぎりと締めあげてゆく息苦しさの、断罪してゆく厳しさの、自問自答の詩が辿り着いた地点は、言葉それ自体が自立する世界、それは体験を振り捨ててきた歴史であると同時に、詩のカテゴリーさえも突き抜けてしまった地点であったのかもしれない。それ故に、石原の詩は自死同然の死の先にはない。彼は、自然な死を演出して逝ったんじゃないだろうか。

   グループ"第5回批評祭参加作品"
   Point(6)