音のこと/はるな
 
、むかしからある(でもほとんどそこで花を買ったことはない)花屋で。老夫婦といっていいくらい年をとった夫婦が経営していて、いつでもうすら寒く、冷蔵庫のなかの花は場違いな明るさだった。なぜかレジの上には造花があって、埃をかぶっていた。
たぶん流行らない花屋なのだろう、三回もいけば顔を覚えられて、会話をするようになった。だいたいいつも薔薇だけを4,5本買った。勧められればその色を。紫や黄色や赤や白。

薔薇を割らなくなってもうしばらく経つし、そもそも音に執着しなくなった。執着を手放すことは、ほとんどの場合において良い傾向だと思う。すくなくとも飾られずに割られる薔薇は減った。
花屋の夫婦はいまでもしらない。わたしが花を買っていたのは、飾るためではないこと。あの夫婦だけじゃない。母も、父も、恋人も、友人も、たぶんだれも知らない。わたしが、夜と朝との合間に起きだして、ただひたすら薔薇の割れる音を探していたことを。そう思うと、すこしぞっとして、耳の奥にしゃらんというぜいたくな音を探してしまう。


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