批評祭参加作品■「 そやから何で阿呆やねんやろとツッコミ待ちで考えてみる。 」/PULL.
 
うことはない、「阿呆やなおまえ。」としみじみ確認するのである。類が友を呼ぶように、筆者の阿呆が阿呆の友人知人を呼んでいるのではないことは、阿呆の友人知人の名誉のため、ここで断言しておく。
 阿呆は、群れるものではない、阿呆は、自らの意志と、持って生まれたのではなく自ら見いだして磨きを掛けた阿呆によって、ひとりの、阿呆になるのである。阿呆に友情は必要ない、あるのはどちらがより阿呆であるかという、命と、阿呆を掛けた闘い、のみなのである。


 ではここからは実例を挙げて説明してみよう阿呆である。
 近年ぐいぐいと阿呆の腕を上げているのが「内館牧子」である。「内館牧子」と「朝青龍」のどちらがよ
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   グループ"第3回批評祭参加作品"
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