批評祭参加作品■「 この際なので批評祭の主催者をちょっぴり意地悪くイジってみる。 」/PULL.
る。
早漏でもいいのだ、じっくりと時間と観察と情熱と自問自答と悶悶と愛情(筆者的には愛情は別になくてもいいけど…)を掛けて、作者の考えている「オリジナリティ」とやらについて「前戯」をして説明してくれれば、読者はちゃんと(それなりに)答えて、応えてくれるのだ。これでは「こたえる」ではなく「堪える」になってしまっている。
作者の相田九龍氏が読者との関係を絶ち、孤高や孤独を気取るタイプなら、このまま「堪える」書き方を続けても一向に構わないのだろうが、各所での発言や今回や前回の「批評祭」の主催者を(無謀にも)買って出る姿を「読む」と、そうではない人物に、筆者には「読める」のである。
例えば
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