生前と死後のあいだで/小林レント讃3/渡邉建志
。その視線は透明だろうと思う。そして、たぶん、いろんなものを透視している。そうするとどうしても「見者ランボー」とかいう聞きかじりの言葉を思い出してしまうのである。たぶんいろんな人が連想してきただろうけれど、この100年以上隔てた二人の15歳の詩人を並べてみたくもなるものだ。少年にしか透視できない世界があって、透視できなくなったときに19歳でランボーは筆を折ったのではないか、と実に適当なことを口走ってしまう。幸いに我らの詩人は活動を続けているが。
水は波打ちながら
太陽光を無限に屈折させています
とか、
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