眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
主と自分の関係を、書き物としては残さなかった。少し先に同時期にフランスに留学していた、しかも狭い夙川という同郷の遠藤周作の作品について、おそらく彼女が抱いていた批判や不満を、日記や書簡に残してもいない。死によって残酷に中断された小説「アルザスの曲りくねった道」で、須賀ははじめて宗教を自分の文学の中で取り上げようとし、編集者に、「遠藤周作さんが『白い人』で書いた世界の、その後を私は書かねばならない」と言ったという。それがどのようなものであったかは、誰にも分からない。須賀が自分と詩との関係をどのように終えるつもりだったかもわからない。もうずっと、書くことはなかったかもしれない。小説においても、この詩集のような独白はなされなかっただろうことは違いない。でも、アルザスの少女が宗教の道に引き寄せられていくときに、たぶん、この詩集であらわされた眉のあたりの涼しさのようなものを、必ずそこで表現していたに違いないと、私はなんとはなしに、思う。
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