■批評祭参加作品■七〇年代詩の均質性/岡部淳太郎
えるものだけにくっつく
よろこびを知りそこに憩ってしまったからだ
(荒川洋治「渡世」詩集『渡世』)
このような詩行で言語均質化の波を皮肉っているのかもしれないが、彼の詩集『渡世』(一九九七年)も『空中の茱萸(ぐみ)』(一九九九年)も、内容的にそう大差はない(単に私の読みが足りないだけなのかもしれないが)。荒川もまた詩壇ジャーナリズムの中にいる以上、その趨勢からは逃れられないのだ。
稲川方人、平出隆(それに瀬尾育生を加えてもいいが)、彼等のやや内にこもった衒学的嗜好性と、荒川洋治の世間に目を向けながらも地を這うような同質の詩を量産していく姿勢も、ともに「
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