カモノハシのパンセ 震災編/佐々宝砂
らない。いま静岡にいるあいだはそう気にしなくていいんだってことはわかる。ただ明日はわからん、ということもまあ、わかる。
2011年03月27日(日)
私の実家のある町は、ちいさな町で、自転車で15分くらいいくと海があって。私の実家は茶畑だらけの低い山がちょこちょこあるようなところで。春祭の日には桜が咲いてタケノコがとれて気の早いキイチゴの花が咲く。浜岡原発から10km圏内。ちいさないなかのまち。
ともあれ和合亮一の名は311の震災とともに記憶される。詩の世界では。それは決まった。
なんだか考えがまとまらない。というか考え始めてさえいないかもしれない。
2011年03月28
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