見えてきた愛について/結城 森士
 
僕は何かをとても好きになることがよくあるが、同時に、それに対して批判的な考えも持つ努力をしている。完全にソレに共感した事など、ただの一度も無い事を書いておきたい。僕は最終的に「愛」を肯定したいと思っているが、安易に「愛」を用いる浅はかさは嫌いだ。
何故なら、「愛」はあくまでも一面的なもので、「愛」に相対する「真実」を知る努力をしない人間は本当に強い人間だとは思わないからだ。それは、「愛」に依存していて、自立心を持っていないということだ。それは、「嫌い」というより、見ていて「悲しい」のだ。「悲しい」のは、助けたいのに助けることが出来ない故の「悲しさ」だと思う。

虐められた人間へ、愛に裏切られ
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