木曽路〜ルル・ララ/構造
のとおなじ
ことでございます。一粒の山椒、といった例えがございますが
たとえば普段何ら堪えることのない一粒の雪にも非常な冷たさを
感じることがある、そういった時も在り、そのようなときにたしかに
われわれはゆくかわのながれの果てを見たいと思い、どこかへいこうと
たびごころがわいてくるのかもしれません。
自らの句集を野ざらし紀行と号したかの芭蕉翁や花の下にて春死なむと
詠まれた西行法師もたびをもってその名を知られています。そのような
こころをもっていらしゃったのでしょうか。これをはてごころ、となづけ
ましょう。わたくしはそのこころにとらわれ、木曽路をあゆもうと
心さしたのでございます。
目をつぶり
銀色の光線が青い闇をわたる
ルンルン、ラララをうたいながら
ぼくはあらわれた
点滅しながら
きみと走り
土を踏んでも
足跡も残らず
砂つぶもゆれなかった
ぼくはやってきて
また去っていった
北へ 北へ
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