書く動力13/Dr.Jaco
可逆の流れに逆ら
って過度の負荷に身悶えする。のが、ゲージツ的だな、なんて。
言葉を得た課程が、科学的に再現不可能な、不可逆なものだと立証する資料を、
読んでみたいような見たくないような。ふとそれより恐ろしくなるのは、「書く
動力」そのものが不可逆であることか。すなわちそれは書くことが「だだ漏れ」
の事象でしかなく、正体は捉えられぬままだということだ。今まで「位相の転位」
とか何とかカッコつけて言ったことは方便であって、書かれたことの堆積が後戻
りを許さぬまま膨張していくということだ。
ゴミの山でもいいし、排出された多量のCo2でもいいし、そんな程度にしか思
えないものが、文字の行き着く先なのではないかという疑念。それが「手詰まり」
ということだが、そんなものは関係なく常に駆動する動力。駆動のメカニズムと
動力源は境界に在るのだという予感は背に負われながら、自らの目にすることは
無い位置を示していた。
愛と憎しみはその境界を擬似的に存在させ、予感を満足させるために現れるのだ
としたら、うなずける気もするが。
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