書く動力12/Dr.Jaco
ぱ、なんて、怒る?
でも私は言葉を得るまさにその境界の自分を捉えたいと切望している。私が自分
の書いたものの中で接触をやたらと引き合いに出すのは、「境界」との接触があ
り得ないことの裏返しである。既に私は境界を突き抜けたという感触すら保持で
きていないからである。生まれた時には言葉を持たず、4歳で言葉を得たという
母親の証言があるにも関わらずだ。
動物だろうと昆虫だろうと、もし彼らが言葉を持たないのなら、彼らの視界に戻
りたいという幻想と、今言葉を持ってしまっている自分の位置について、行き来
することは無く、拡大する(と表記されている)宇宙のように不可逆に言葉の世
界が拡大する一方なのだ。それが「無限の可能性」でも「いずれ訪れる破裂」で
もなく、ただ「拡大」という方向だけを現すなら、それが私のいる位置において
は一つの矢印にしか見えなくても、(人間でなくとも)どこかの誰かが見ればあ
る円環の部分なのか、教えてほしいとただ駄々をこねる、赤ん坊みたいに。
今更、「どこから来て、どこに行くのだろう」なんて、陳腐よね。
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