書く動力11/Dr.Jaco
そう
ではないのだ。常にその「後」であり、「後ろ」なのだ。
では、くるんでいる間そのものはどうなのだろうか?
なんて思うということは、私は自分の書くものに、自分が言葉を得た課程を燻り
出したいと思っているのではないだろうか?
って、今までにも思ったことはあったのだが、自分では余りにも持て余してしま
う「名古屋」という環境にあって、初めて口にしてみた。
「水面に顔を浸す」とか、「行ったり来たりする」とか比喩された「言葉さん」
とは、私が言葉を得た課程そのものではないのだろうか。
言葉を得た課程を手に入れる=表現可能にするということが、次(よくわからな
いが「順番」で言うところの「次」)を得る手段ではないか。嫌になるほど浅は
かな動機である。
「次」とは「貴方」である。
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